インナーチャイルド セラピー体験談

幸せのバトンを受け取って
私たち心の幸せ見つけました

美智子さん
1997年8月    ・・これは1997年8月に書かれたモノです・・

3ヵ月ほど前、私はどいうわけかインナーチャイルドセラピーを受ける運びになっていました。そこで私はとても大きな衝撃に打ちのめされ飲み込まれてしまいました。それは今までの私とこれからの私を一瞬にして変えてしまうほどのものすごい力でした。


私は気付くと3才のころにすっかり逆戻りしていて、あの畳の部屋の父と母の間にたたされていました。父は私に「美智子は、おとうちゃんとおかあちゃんと、どっちと一緒に暮らしたい?」と聞いてきました。が、どうすればいいかわからずただ立ちつくしていました。

でも心の中では、「おかあたんといっちょがいー!」と思っていました。でもそれをいってはいけない・・・どうしなくてはいけないのか・・・なにが最善なのか・・・母と一緒にいきたい。でも母は兄一人で精一杯だと、兄と一緒にいたい。と父に訴えている。父はどうも新しいガールフレンドといっしょがいいようだ、とにかく私は何一ついえず、泣くことさえも許されなかった。


それは、きっとそうすれば私のとても大好きな母が私を嫌うから、怒ってしまうから、だからただただ、その場で立ち尽くしてしまった。そして、その時はそれから27年近くも二度と真剣に振り返られることなく過ぎ去った。

父と母は結果的には離婚をしなかったが、けんかの絶えることはなかった。それに母からは何度となく「みっちゃんさえいなければ、おかあちゃんは幸せになれるのに。」とか「あんたはお父ちゃんに似ているから憎たらしい。」など私さえいなければということを、いつもいつも聞かされていて、幼い私はすごく母がかわいそうでしかたなかった。そして「私がここにいるからいけないんだ。」と私が悪いんだといつも思っていた。

思い起こして見ると、このころ私は、私のこと以上に母のことを心配していたように思う。そしていつからか、母のために死んであげようと思い始めるようになっていて、どうすれば死ねるのか、ちいさいなりに、色々と考えた。本当に母のために死のうと思っていた。


ところが、ある日どうすれば死ねるかがわかったころ、当時8、9歳ぐらいだったと思うが、家の前に一冊のコミックマンガが落ちているのに気付き拾い上げて本をめくって見ると、そこに、私と同じ様に悩み苦しんでいる一人の女の子がいた。彼女が自殺を決意したころ彼女は一人のお兄さんと出会い、「君はいつか大人になり、両親やその苦しみから自由になれるんだ。自分で生きていける様になれるんだ、だから苦しくてもその日まで頑張るんだ」。というようなことを言われる。

その言葉にとても驚いた。そしてとても励まされた。それを境に、もう何があっても何を言われても絶対生き抜いてやる。いつか大人になったら、そこからは私の人生なんだ。それまではどんなことがあっても、どんなに辛くても負けない。と自分に誓った。

もちろん母からはそれ以後も同じような台詞を聞かされ、父からも「おまえはうちの子じやないんだ。」などといわれたりして、ひどいかんしゃくをおこし家の中のものを壊したりと、ひどく荒れていたときもあった。でも兄は自慢の息子で、傍から見ても、そのかわいがりようの違いははなはだしかった。おまけに兄からも、「おまえは醜いから人前に出るな」。とかいわれ、どこにも自分を立ち直らせてあげられる場所がなかった。でも、いつか大人になれるんだそしたらもう苦しまなくていいんだ、と励ましながら頑張っていた。

とはいえ家の中では、いつも父が酔っていようがいまいが、母を怒鳴りつけたり殴ったりして荒涼としていた、一度など父が重たいガラスの灰皿で母を殴り頭から血を流すということがあって、警察が来たこともある。その日、私と兄と母と、駆けつけた母の姉と共に救急病院へ行き、母の姉と兄と真夜中の公園で母のことを待っていた。私はその日のことを忘れたことはないが、兄は忘れてしまっていてそんなことはなかったという。両親が喧嘩をしているとき、私は「私に手出しできるものならやって見ろ!」「殺すんなら殺せ!」「生んでくれなんて頼んでない!」といった感じで二人をじっとにらんでいた。そして母を助ける為の、父を抑え込むだけの力がないことを恨んだ。そしてそのつど「いつかこいつを殺してやる!」と心の中で繰り返していた。

不遇な幼少期ゆえにゆがんだ大人に育った両親の下に生まれた私は、母を守る為、父をやっつける為のことに自分の子供時代を費やさなければならなかった。母は自分のことで頭がいっぱいで、父も自分のことで頭がいっぱいで、そのほかのことを考える余裕など全然なかった様に思う。そしてそんな二人の為にまだ自分の為に悩むことのない小さな私は選択の余地もなく自分の時間を割いてあげなくてはいけなかった、「ここは嫌いだから出ていく」などということは生きていく術のない子供には不可能に近いから。その為いくつもの時間は自分の為にではなく、両親の為に割くことになった。

本当なら悩みのない心にゆとりのある両親に親身になって悩みに付き合ってもらったり、相談に乗ってもらって悩みを解決していきたかった。でも現実は心にゆとりない両親の下、どんどんどんどん悩み事は増えてゆくばかりで減っていくことはなく、頭のなかは悩みでいっぱいになっていた。しかもなんでこんなに苦しいのかさえ解らないような状態だった。そして気が付けば同じ様な悩み苦しみを持つ仲間と気を紛らわすために騒ぎを起こしたりお酒を飲んだりしてお互いに慰めあっていた。

でも父や母、その他のだらしない大人のようになりたくなかった、父の経営していたレストランには薬中毒のコックさん二人を筆頭に、社会になじめない大人がざらざらといた。それに夜にやってくる客は、先生、やくざ、警察官、サラリーマンみんな腐った心の持ち主ばかりで「あんな大人」にだけはなりたくなかった。仲間と慰めあっているのはいやではなかった、でも私はそんな自分が自分だとは思えなかった、本当の自分はもっと違うはずだと感じていた。

だけど中学生のときなどは今から思うと離人症に悩まされていた。気付くと記憶がなくてぼーと一点を見つめていたり、物を無性に盗みたい衝動に刈られていた。もしも、そのまま結婚でもして子供を作っていたら新たな犠牲者が育っていたことだろう。

どうして子供が大人のために悩まなくてはいけないのか?大人なら自分の悩みは自分で解決してて欲しい。かっこ悪いとか、恥ずかしいとか、カウンセリング料が高いとか言っている場合ではないはず、そのためにどれだけの子供が犠牲になっていることか、自分自身だってその被害にあっているにもかかわらず、それが解らないから、悩みを抱えながら生きていることがどんなに害のあることか意識しないから、なあなあに悩みと付き合っていられるんだと思う。私もそうだったけれど・・・

セラピーやカウンセリングといった悩みを解決するという新分野に挑んでいる私を恥ずかしいなんて思ったことはない、それどころか私は自分がかっこ良いと思っている。だめな大人のくせにそれをどうかしようとしない大人よりはどうにかしようとしている私のほうが断然かっこいい。

それに今ではこの人生で何をしようか?どんなことをしようか?とか、なにができるかなぁ?とかそんなことを悩みの随分と減り広くなった心に思い巡らしている。あれもこれも、いろんな事をしてみたい、いろんなところに行ってみたい、そして一人でも多くの人と生きていることの素晴しさや、喜びを分かち合いたい。と思っている。


とんでもなく発育不全な父と母だったが二人とも動物好きで優しいところもあり、思い起こして見ると少しだけど、優しくしてもらったり、楽しく過ごしてきた日々の記憶もある。


でも、小さいときから、居場所のなかった私はこんなことを信じていた。それは、私は宇宙人でこの父と母は本当の両親ではなく、本当の両親はどこか別のところにいるのだ。私はこの星の人ではないからこの星の人といても孤独なんだ。どこかに私の帰る場所があり、いつの日かそこに迎え入れられるんだ、そこには本当の私の家族があり、本当の友達がいるんだ。そこではいつも楽しくてみんなが仲良しで幸せなんだ。だからいつでも私の味方で私の良き話し相手だったのは、夜空に輝いている星だった。そしていつも私は、あの星から来た宇宙人で何かの間違いか、もしくはこの星を助けるためにこの星に来たのにちがいない、そして将来立派な救世主になるために今この辛い試練を体験しているんだ。この大事な使命のためなんだから、だからなんだ。と自分にいつも言っていた。いつかこの星の人を助ける為なんだ。と・・・

そうやって「私は、この世になくてはならない大切な存在なんだ!」と言い聞かせていた。だけどそんな思いがなかったらどうやっていままで生きてこられただろう。生きていても、何一つ楽しいことはなく、辛いことばかりで、なぜ生きていなければいけないのか、答えが見つからず、泣いても、泣いても心が癒されることはなかった。

そんな大事な使命があるのだから、そう思わずには、・・・でもせっかく大人になったのにやっぱり楽しくなんてない。なぜ?いつになったら・・・いつまでこんなことが続くの?あんなに憎み嫌っていた両親もいなくなり反抗することもなくなってしまった。ますます何をしたいのか?何をしなくてはいけないのか?生活のためにがむしゃらに働く必要もない。答えがでない。気を紛らわせたい。


なにかを求めて、何年も海外をふらつき、恋人を見つけ恋をして過ごしたりと、でもどこか、何かがたらない、満たされていない。やはり生きていてもつまらない。そんな思いがいつも付きまとっていた。だからいつも何かに熱中していたかった。デザイナーという仕事柄パリコレの仕事などもしたり、有名モデルやカッコイイ男性と知り合う機会も多く楽しいはずなのに心の底では、悲しみが消えることはなかった。

そして、私は本当に長い間いつでも、「どれほど私は幸せか」「私は惨めではないか」ということを自分自身に証明しようとしていた、そして人からそう言われることを求め続けていた。言い替えれば「本当は不幸なんだ、惨めなんだ」と気付かなくてすむように努力していた。そして人からの賞賛、評価を得なくてはと一生懸命で、人からあなたはなくてはならない大切な人なのだと思われたくて、そう思ってもらえるよう努めていた。


そうでないと生きていてはいけないかのごとく、生きている価値がないのではないかのごとく思っていたから。私はこれらのことのために自分のほとんどのエネルギーを費やしていた。そして一度として自分のために生きたり、ただ喜びのためだけに生きる、ということをしていなかった。

それなのに、それが、あの泣き叫んだ日を境に、セラピーを通じてどんどんどんどん変わってきているのだ。そして心のなかに今まで味わったことのないなにか、平和のようなものを感じ始めている。心というスペースから悩みという大荷物がなくなったすがすがしさなのか? それに、今ではがむしゃらに幸せを求めたり、惨めにならないために努力することもへってきたように思う。苦しい時は苦しみを避けるのではなく、受け入れられるようにもなってきた。楽しい時は楽しいと感じられるし表現もできる。もちろん悲しい時だって。怒っている時だって、それらの思いに抵抗しなくて良くなってきた。


たくさんの人が私と同じように心の傷を癒して新しい人生を築きだしているのだと思うと嬉しくてしかたない。そして、まだたくさんの人達が傷を癒せず苦しい日々を送っているのかと思うと、「その傷は癒せるんだよ」と知って欲しくてしょうがない。一人でも多くの人にそのことを知って欲しい。そして、過去に振り回されない、自分自身の今の為に生きてほしい。なぜなら私たちにはそれは出来るのだから。同じように傷を持ちながらも勇気を出し傷を癒して新しい人生を築き始めている仲間がいることを知って欲しい。

私自信は、セラピストとしては、まだまだ駆け出しで上手に手助けできないかもしれないけど、そのための努力はおしみなくできる。それは、私自身が傷を癒して人生の素晴しさを今体験しているから、そして一人でも多くの人にそのことを気付いて欲しいから、もしもこのことを知らずにいたらと思うと・・・。


癒せてよかった、今はまだすべての傷が癒え切ったわけではないだろうが、傷が癒せてどんなによかったと思っているか。言葉では表わせない。独り苦しみ泣いていたころ、どんなに、どんなに理解者を求めていたことか・・・助けを求める術もなく、独りだったあのころ。

人生がこんなに素晴らしいと、気付けてよかった。そのことだけでも幸せで胸がいっぱいになります。辛くあたっていた、父や母にも今ではありがとうという気持ちがなぜか沸き上がってきます。そして脇に追いやっていた、優しかった父や母のこともいくつか思い出しています。

今こうしてセラピーというかたちで、人のお手伝いをする。という特質を養ってこられたのも、そのような辛い過去があったからかもしれない。けれど当時私は何度も何度も、「こんな使命いらない。みんなみたいに家族仲良しがいい」。「優しい父や母や兄が欲しい」。と星にお願いしていました。

辛い過去でしたが、それがゆえに私のなかの秀でた特徴として、今の性格が延ばされてきたのだとしたら、何と思えばいいのか、今の私には分かりません。辛い過去に根差していなくとも、他人の思いを尊重でき、おおらかでやさしい、暖かさのある人間に育ったはず。 そしてできるなら私の過去を何かに役立てたいです。同じ過ちを繰り返させないためにも。

あの日のことを忘れてしまっていて思い出せない訳ではありませんでしたが、ワークの日、あの日のことを思い出したときは違っていました。それは私はあのときの自分の感情までも思い出していたからです。そして私のからだは、筋肉は、がちがちになっていました。そして26年間言われることのなかったあの言葉を言えることができたのです。「おかあたん。いっちょがいい。おかあたんといっちょがいー!」と私はからだ全てで必死の思いで叫んでいました。「おかあたん。おかあたん。」と何度も何度も。体はあまりの力でひどくふるえ、力はますます入ってきて、叫んでも叫んでも、叫びたらず、叫べば叫ぶほど体が熱くなってきました。


あの日あのとき私はこんなにも強い思いをどんな思いで飲み込んでしまったのだろう。そして、なんて、なんて、長いあいだこの思いを隠し持ってきていたのだろう。ありったけの、すべての思いを精一杯の声で力で出した。そして初めて私の思いを語ることができた。でも、もうそこには、父も母もいなかった。

初めて31歳になってやっとやっと・・満たされた気持ちと、安心感。そしてたくさんの力をつかった疲労感からか、なぜかとても安らいだ、楽になったような気持ちになっていた。そして初めて私は、私になった。取り立てて訳はないのだが、生きてて良かった。なんて素晴らしいんだろう、体のどこかからかそんなことが湧き出ていた。そして、ありがとう。ありがとう。・・・と何度言っただろう。その後、二人の女性が吐き気がするという私を、両脇を抱えて引きずるように洗面台まで運んでくれた。ひどい脱力感で一人では歩くことができなかったのだ。

心のどこかでいつも憎み嫌い続けていた父と母も本当は大好きだったんだ。愛していたし、愛してもほしかったんだ。と認められる様になってきた、(でもまだ、憎さと照れ臭さが取れないけど。)本当は優しくして欲しくて、かわいがって欲しくて、ただそれだけだったのに、今はもう父も母もこの地球上にはいない。でもいつか再会したときは、ちょっと自信ないけど上手に二人のことを愛せるかな?

この手紙は、一人でも多くの人に心の傷は癒せるのだと、気付いてほしくて書いています。 本当に、本当に一人でも多くの人が輝きを取り戻し、生き生きと人生を楽しんでくれるのを望んでやみません。

今の私があるのは、たくさんの人達が私を暖かく迎え入れてくれたから、そして心強い先輩達の存在があったからです。実話に基づいた本や映画にどれだけ支えられたか、また、そのような媒体を通してメッセージを送ってきている人達の存在、実際にはどこのだれだか知らないけれどどこかに存在している人達、私達は見えない糸でつながっていて互いに差さえあっているのだと信じたい。事実この人達がいなかったら、私はどうなっていただろう、ありがとう。

私はそうなりたくて惨めな人になったわけじゃない。自分にはどうすることも出来なかった。本当は愛して欲しかったのに、上手に気持ちが伝えられなかったり、素直になれなかったり。本当は私がどんなにひどい人でも、醜くてもただただ愛して欲しい。なによりも父と母に愛されたかった。そして、一人一人の人すべてに私を愛して欲しい、どんな理由もいらない。ただ愛して欲しい。私はただみんなから愛されたいだけ。見知らぬ星のだれかじゃなくて、この星の人に愛され迎え入れられたい。私をこの星に迎え入れてください。私がここにいることを喜んでください。そして愛してください。


もし、父と母が今も生きているなら、とっても恥ずかしいけど「愛してるよっ」って言ってずっとずっと抱きしめていたい。そして父と母の辛かったときを一緒に癒してあげたい。「お父ちゃん、お母ちゃん、たいへんだったね」そして「ありがとう」。

私はこの星が大好きです。大好きになりました。お父さん、お母さん、私生まれてきて本当によかった。本当によかった。

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